上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
そういえば、昨夜は私設の中で、
少し小田氏治さんって凄い人がいるよって
話をしたのですが、その内容の詳細を・・・。
何故凄いかって?死なないんですよ・・このひと。
戦歴はまさに、連戦連敗。
とにかく負けるんです。
しかも、家臣が暴走し・・・じゃなくて、自分が暴走し・・・。
そして、無論負けるんで、居城を取られて、
落ちるわけです。
ある程度有名な戦績をまとめると以下のようなことに。

1548年:家督相続し直ぐに【河越夜戦】勃発。そして、敗北側につく。佐竹・北条ともに
    攻めてきて領土が削られる。
1555年:関東に出兵してきた長尾景虎に呼応して、結城政勝領へ兵を進めるも、敗退。
1556年:結城政勝の反攻を受けて居城・小田城を奪われる。
1557年:佐竹義昭に攻められて敗北。海老島城を失う。
1558年:佐竹・多賀谷連合軍との合戦に敗れる。
1562年:庶長子友治を人質に差し出し、北条氏康と手を結ぶが、佐竹義昭の侵攻は激しく敗北。
1563年:小山方面へ出陣する佐竹義昭の留守を突き、三村の合戦で大掾貞国を破る。
1565年:佐竹義昭歿後の混乱を突いて小田城を守る佐竹義廉を追い、本拠の奪還に成功。
でここからがすごい。
1564年8月:上杉、佐竹らに山王堂の戦で敗れ、小田城落城、氏治藤沢・土浦に落ちる
1564年11月:氏治小田城を奪還
1565年11月:佐竹勢に攻められ、小田城落城、氏治土浦へ
1565年12月:氏治小田城を奪還
1566年2月:上杉、佐竹勢の攻められ、結城と交渉の上、小田城「開城」
1566年??月:氏治小田城を奪還
1564年~1569年まで、とにかく攻められては破られ居城:小田城を失っては、家臣や領民が奪い返して・・・
ということを続けること3回?くらい?を繰り返します。
で破られるときは決まって、氏治さんが指揮を取っている始末。
勝利の場合は、旧小田家臣や領民が氏治さんのために、我慢して使えて乗っ取ったことが起因らしいです。

そして最後は
1569年:佐竹義重と手這坂の戦いで敗れて居城の小田城を再び失う。
1583年:佐竹軍の攻勢に孫・金寿丸を人質に差し出して降伏。これまで何度も奪還のため仕掛けるが全て敗北。

この人、運がないんじゃなくて、運がいいんです。
負けても捕まらないで、家臣が身代わりに死んでいきます。
毎回、影武者な家臣が死んでいくのですが、家臣が奪還してくれます。
・・・・・家臣がすごいんです・・・。

という人でした。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://freiegesellschaft.blog51.fc2.com/tb.php/1027-64726d1b
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。