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いやはや・・・ネタが・・・ないものでw
引き伸ばし極意ですw
とうとう、天守閣資料館も最後のネタ。
ちょっと今回は、見せますよ!!
岐阜城の始まりは、この人からはじめてみます。
saitoudozan.jpgsaitoudozan2.jpg
・・・今風にすると、髪がもっさもさです。※戦国IXAより抜粋
だいぶ違いますが・・・・。もともとの絵も違うかもですから・・・・。

そして、この息子さんが、斉藤義龍さん。いろんな疑惑があります。えぇ、実は血のつながった子供ではないとか・・・。
saitouyositatu.jpgsaitouyositatu2.jpg
こっちは、なんか似ています・・・・。でも、ピンクの・・・ゴホゴホ。

でも、絵を見ていると、なんとなく、親子に見えてくるのは気のせいですかね。
えぇ気のせいだと思います。
どちらにしても、稲葉山が堅固なお城なのにも関わらず、
落ちてしまった理由は、まさしくこの親子の戦いが尾をひいたことでしょう。
そして、稲葉山城から退去して住んでいた鷲山城
(ちなみに、岐阜城の入り口から歩いて1時間くらいのところにあります。革靴でですけどねw)
wasiyamajyo1.jpg
ちょっと残念な感じになっていますが、石垣とかむっちゃのこってそうでした。
実は、仕事がメインなので、ぶっちゃけ急いで岐阜大学まで歩いている途中にあったので、
よれませんでした・・・・。
そして、親子対決は生死を分けねばならぬ・・・長良川の戦いへ。
gihuten3.jpg
じつは、天守閣からみると、この長良川、すごいんです。
gihuten1.jpggihuten2.jpggihuten4.jpg
天守閣からだと、すぐそこにみえます。実際に、川はすぐそこなんですよ。
そして、鷺山城までなら、ふもとにおりれば、徒歩で1時間かからないくらいの場所。
長良川の戦いが、なぜ信長とのポイントになるのかというと、
「長良川の最後において、道三は末子の斎藤利治に美濃国譲り状を渡し、これより利治は信長の織田軍へと合流する」
wikiより抜粋
これにより、信長は美濃へ攻める口実が出来たというわけです。
ただ、当時の信長には、美濃を攻めるどころか、尾張統一すらなってなく、
この後、信長も強大で戦う稲生の戦いなどがあり・・・ゴタゴタ・・・・。
結果論では信長は内側の敵は一層出来たのですが、当時はまさしく綱渡り。
よく生きていました・・・・。
そして、義龍が亡くなり、息子の義興が家督を継ぐと、
今度は、竹中さんが頑張ります。
hanbei3.jpeg
すんませんフィッシュのほうじゃなくて・・・
hanbei1.jpghanbe2.jpg
※戦国BASARAより抜粋
もはや、竹中さんのイメージがフィッシュでいいきがしますが・・・まぁいいです。
この人が世にいう、稲葉山城のっとり事件を起こすわけです。
それは・・・・信長がせめても取れなかった稲葉山城を
たった16or17人くらいでのっとるという大事件。
・・・・年齢はね・・・19歳♪
結局、このことが斎藤家の滅亡というか力を衰退させてしまって
結果的に滅亡に拍車をかけたんですけれど、
その後、信長さんの息子である
odanobutada.jpgodahidenobu.jpg
左:織田信忠(長男) 右:織田秀信(孫)
が城主をしたり、
ikedateruyuki.jpg
池田輝政さんが城主をしたりします。

で思うこと。城主はみんな、のっぺり系。
ちなみに、信長つながりですが、
岐阜駅に帰った際、みつけたものがあります。

アナタが行きに見落とした信長は、
金の信長ですか?銀の信長ですか?銅の信長(普通の銅像)ですか?
・・・・・・nobunaga5.jpg
拡大すると・・・・・・

nobunaga4.jpg
岐阜駅前にあるようです。実は帰宅のホームで発見して、写真が取れませんでした;;

なんてこった・・・・金の信長・・・・・。でも、スゲー色が映えていましたw
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